宮城県仙台育英高校の1年生3名が飲酒運転による犠牲となった事件があった。学校行事であるウォークラリーに参加中、早朝4時頃横断歩道での悲惨な事故である。不可抗力なる同様の輪禍事故は後を絶たないが、失われた命は二度と返らない。これからという若者3名の親の気持ちを思うと、加害者に対する怒り、憎しみは察するにあまりある。
ウォークラリーを学校行事として計画した教師の立場であれば、早朝交通量の少ない時間帯を利用してという、安全面も配慮した上での実施計画であったろうが、結果的には夜更けまで飲酒を重ねた加害者の帰宅時間と偶然重なってしまった。
仙台育英高校において今後の学校行事の中からウォークラリーは消えてしまうであろうし、これからの生徒にとっても名物であった想い出づくりの行事が一つ失われてしまう結果を招いた。
近年小学校で相次いで発生した外部侵入者による事件も、結果誰もが入れるはずだった開かれた校区の交流場所なる小学校が、外部に門を閉ざしてしまう結果をもたらした。
似たような事は我々の身近にはもっとある。
犬の散歩において公園や河川遊歩道は数少ない潤いの場所である。
しかしながら、必ずと言っていいほど“犬のリード無しでの散歩禁止”や“フンの持ち帰り”を促す看板を多く見かけるし、フンは後を絶たない。
犬の散歩を排泄目的と勘違いしている飼養者が、正しい認識を持たない現状では“犬の散歩及び立入り禁止”なる立て札ばかりがあちらこちらに目立つ状況になりかねない。
この事をたわごとで片付ける人達に犬を飼養する“責任”とは何かを問うてみたい。 |